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2008/08/31

映画「逍遥日記」について

 8/30、東京都内の上映会(台湾研究フォーラム主催)にて観た。
「逍遥日記」は、台湾が日本の統治下にあった時代に青少年期を送った、いわゆる日本語世代の人々 を取材したドキュメンタリー映画。監督は酒井充子氏
 
 戦前は日本企業経営のコーヒー農場で、戦後は茶畑で働き続ける楊足妹さん(1928年生)。
 原住民としての誇りを胸に生きた塔立國普家儒漾(タリグ・プジャズヤン)さん(1928年生)。
「今の若い日本人よりわたしのほうが日本人らしい」と言う陳清香さん(1926年生)。
 ビルマ戦線で戦った元日本兵、蕭錦文さん(1926年生)。
 今も恩師への感謝の気持ちを抱き続ける宋定國さん(1925年生)。
歴史に翻弄されながらも、一歩一歩人生を歩んできた人たちが、80歳を超え、激動の人生を振り返るとき、彼らが語る言葉は…
 なお、文化庁の助成を受けた作品である。
 
 登場人物は日本語でインタビューに答えているが、周りとの会話は客家語、台湾語、北京語、原住民語もちろん、日本語と様々…
 国民党立法委員として長く原住民の生活改善に向けて努力されてきたタリグ・プジャズヤンさんが語った「名前が日本人でも中国人でも、心は原住民だ!」との言葉と、1974年に「最後の日本帰還兵」として帰台したスニヨン(アミ族・中村輝夫)さんのことについて、涙を堪えながらやるせない気持ちで語ったことは強く印象に残った。
 蕭錦文さんの語り口はいつもと同じながら、「(日本人として)日本政府に訴えたい!」との気迫は、より多くの日本人に訴えたいという気持ちがあふれている。
 
 日本・台湾の往来は年間250万人を越えているにもかかわらず、過去に50年間、運命を共にした日本と台湾の歴史を知らない人が多すぎる。
 日本語世代の子世代は国民党教育を受けており、世代の断絶はかの映画「多桑」でも表現された。
 一方、日本においては日本が台湾(に限らず)建設したことの意義は公教育から排除され、マイナス面しか教えていない。
 ともに戦後教育のおかげで日本時代の台湾を素直に見つめるということを阻害してきた。
 この映画は日本時代の末期とはいえ、当時の生き証人の話を聞くことができる貴重な映画である。

 上映後、酒井監督からお話をお聞きした。
 彼女は大学卒業後、メーカー勤務、北海道新聞社記者を経て、2000年からドキュメンタリー映画の制作および劇映画の制作・宣伝に関わったという。
 彼女の台湾での出会いは1997年夏、台湾映画「愛情萬歳」(蔡明亮監督)に触発され、初めて台湾へ行った時、訪れた九[イ分]のバス停で日本語世代のおじいさんに話しかけられたそうです。
「恩師が富士山の見えるところに住んでいるはずだが、あなた知らないか?」と聞かれ、流暢な日本語と、今でも先生を思い続けているその気持ちに驚かれたそうです。
 同時に、台湾のことを何も知らない自分に気づき、情けなくまた恥ずかしい思い感じ、この出会いをきっかけに、台湾のことをもっと知りたい、もっと多くの人に知ってほしいと思うようになり、7年かけてこの映画を制作されたとのこと。

 フォーラム関西講演会事務局として、この映画を大阪においても上映したいと検討しているので、日時等が確定したら、改めて案内します。ご期待ください。(K)

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